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マチロク 〜いつもの街の貴重な記録〜 (No.11 - 20)

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No.16 市営路上駐車場
 この写真が撮影されたのは昭和41年。所得水準の向上によりマイカー時代が到来し始めた頃です。鹿屋市史によると、鹿屋地区の自動車保有台数は、昭和41年末には乗用車641台、貨物自動車187台でしたが、わずか3年後の昭和44年には、それぞれ1,603台、2,503台まで急増。この後さらにモータリゼーションが進み、国鉄大隅線廃止前年の昭和61年には、乗用、貨物合わせて21,188台に達しました。高度成長期の中、自動車が生活の中に入り込んでいった状況が、この満車の市営駐車場の様子で伺い知ることができます。
No.15 ノーヘルライダー
 ノーヘルという言葉に、懐かしさを覚える人もいらっしゃるかもしれません。写真は昭和41年に撮影されたもので、たくさんのライダーがノーヘル、つまりヘルメットなしで乗車している様子が写っています。もちろん当時は違法なものではなく、当たり前の光景だったわけですが、交通量が増え、事故の危険性が高い現在では、いささか違和感を感じますね。最近では、自転車のヘルメット義務化に向けた流れが生まれつつあります。鹿屋市でも自転車がメジャースポーツになりつつありますが、命を守るため、ルールとマナーを守って楽しみましょう。
No.14 北田交差点付近
 昭和41年の1月に撮影されたものです。初売りでしょうか、バスセンター付近は買い物客で賑わう様子が見て取れます。この直前のNHK紅白歌合戦では大トリを務めた美空ひばりさんが、「柔」を歌われたそうです。当時は、イザナギ景気という好景気に恵まれ、昭和39年の東京オリンピックがカラー放送されたことから、カラーテレビの普及が進み、3C(カラーテレビ、自動車、クーラー)の時代へと突入していきました。現在は好景気とは言い難いかもしれませんが、市民の皆様の夢や希望が叶う年になりますように!
No.13 白衣の天使たち
 鹿屋市立准看護婦学校第1期生の戴たいぼうしき帽式の様子です。昭和47年版の鹿屋市史によると、太平洋戦争後、診療施設は急増したものの、資格を持つ看護師が不足し、見習いで補うしかない状態でした。また、本市には正式な資格取得のための機関もなかったため、昭和38年4月1日に市立准看護婦学校を開校しました。当時の定員は40人で、生徒は市内の病院等で働きながら学び、卒業後は地域医療に貢献されてきました。現在は鹿屋看護専門学校と校名は変わりましたが、患者さんの役に立ちたいと88人の皆さんが日々看護の勉強をされています。
No.12 北田町上空
 昭和34年に撮影された北田町周辺の航空写真です。中央の道路は現在の国道269号で、右側にプール、その下に料亭「水すいせんかく泉閣」が並んでいます。撮影時、プールは建設中で、翌年の昭和35年に「市民プール」としてオープンしました。現在「市民プール」跡は城山公園内の日本庭園になっており、「水泉閣」跡にはファミリーレストランが建っています。また一番左上の白い建物は、かつての中央公民館(現鹿屋市保健相談センター)で、昭和33年に新築され、図書館等が増築されました。当時の社会教育やスポーツ振興の機運の高まりが感じられる1枚です。
No.11 高須海水浴場
 夏のレジャーといえば、海水浴が最初に思い浮かぶのではないでしょうか。この写真は昭和38年に撮影された高須海水浴場の様子です。シーズンともなれば、大隅高須駅は家族連れであふれんばかりでした。当時の海水浴といえば家族だけでなく、親子会や町内会でも出かけ、海岸のあちこちでスイカ割りをする光景も見られました。手作り弁当も楽しみでしたが、海の家で食べるカキ氷も最高でした。画面左上側に写るのは松の木。高須から浜田にかけての美しい松並木は、マツクイムシの被害により半減してしまいましたが、浜田まで続く白砂の海岸と山並は今も当時の面影を残しています。