トップへ| サイトマップ

 トップ  > 各課のページ  > 秘書広報課  > かのや歴史探訪  > No.1 - 10
 トップ  > 広報かのや  > かのや歴史探訪  > No.1 - 10


かのや歴史探訪 (No.1 - 10)



No.10 大塚山公園 (串良町有里) 地図
 大塚山は標高108mで、周囲は約4km。 高い山ではありませんが、広々とした笠野原台地の中央部に位置しており、周囲に視界を遮るものが何もありません。
 大塚山公園は、この大塚山の眺望や自然を多くに人に楽しんでもらおうと昭和47年に整備された公園です。 公園入口から展望台や駐車場、トイレなどが整備された頂上までは約800m。 360度の大パノラマが広がる展望台からは、広々とした笠野原台地をはじめ、志布志湾や高隈山系、開聞岳などを望むことができます。


No.9 黒羽子の『かくれ念仏洞穴』 (吾平町上名) 地図
 江戸時代、薩摩藩は一向宗の信仰を厳しく禁じており、信者は斬罪や流刑などの厳しい刑に処されていました。
 『かくれ念仏』とは、当時、信者が藩の目を盗んでこっそりと念仏を唱えていたことをいい、絶対に発見されないような人里離れた山奥の洞穴などで行われていました。
 吾平町上名にある『かくれ念仏洞穴』は、山道を約350m入っていった高さ10mの岩山の崖下にあり、入口は幅約3m、高さ約1m。 8畳程の洞内には、人為的に作られた場所もあり、当時の様子がしのばれます。
【問合せ】 ウォーターパール館 電話番号 0994-58-8439


No.8 旧海軍笠之原飛行場跡地 (笠之原町) 地図
 笠之原飛行場ができたのは、大正11年8月のことです。
 農家から借りた約40haの農地に、地区の在郷軍人や青年たちの奉仕作業によってできあがり、その後、格納庫、車両庫、整備工場、兵舎、弾薬庫、燃料庫などの施設が増設されて敷地は120haまで拡張。 滑走路は東西方向と南北方向に1本ずつありました。
 しかし、昭和20年8月の敗戦とともに23年間利用された笠之原飛行場は跡形もなく消え去り、今では広々とした畑の中に、地下道への入口が残るだけとなっています。


No.7 B29墜落地点の碑 (輝北町上百引)
 太平洋戦争末期の昭和20年4月29日の早朝、米軍の爆撃機B29が、旧日本海軍の戦闘機『電電』に撃墜され輝北町上百引の畑に墜落しました。
 機体は焼け焦げ、11人の搭乗員は全員死亡。 この時、駆け付けた住民が竹やりで遺体を突こうとしたそうですが、「死んだ者に敵味方の区別はない」という声があがり、住民は手厚く葬り、十字架の墓標を立て葬ったそうです。
 墜落現場近くの国道504号沿いには、「B29墜落地点の碑」と記した碑が建立され、61年前の惨状を伝えています。


No.6 中郷ホタルの里 (串良町有里)
 地域の憩いの場として親しまれている中郷ホタルの里ができたのは、平成13年に地域の魅力を見つめ直そうと行われた「ふるさと探検隊」がきっかけ。 以前、洗い場や子供たちの遊び場として親しまれていた湧水池を、ホタルの里にしようという計画が持ち上がり、昨年5月に完成しました。
 公園には芝生のスペースと湧水池があり、池の周りには自然石が置かれ、生物が住みやすい環境に配慮。 ホタルの里という名のとおり、辺りが暗くなるころには、ホタルが姿を現して、小さな池は幻想的な雰囲気に包まれます。


No.5 ウォーターパール館 (吾平町麓)
 ウォーターパール館は、平成20年3月にグランドオープンを目指す吾平自然公園のメイン施設として、昨年12月に開館しました。
 ウォーターパールとは、特殊な振動を与えて作った水玉と専用のストロボライトによる残像現象を利用した噴水です。
 水の流れる音が響き渡る館内では、ライトを浴びて青や黄色に輝く水玉が、空中で静止したり、上下に移動しながら、訪れる人を出迎えてくれます。 目の前をゆっくりと移動する水玉が作り出す不思議な空間を、ぜひ、体験してみてください。


No.4 王子遺跡資料館 (北田町)
 王子遺跡は昭和54年に発見された弥生時代中期の集落跡です。
 遺跡は、当時計画が進められていた国道220号線鹿屋バイパスの路線上にあったため東西250m、南北50mの範囲で発掘調査を実施。 資料館は、ここで出土した貴重な遺物や資料等を展示するために昭和59年に建設されました。
 館内には、舟形の屋根と棟の両端を支える柱を持つ独特の構造で、弥生時代のものとして初めて完全な形で見つかった棟持柱付堀立柱建物や竪穴式住居が復元してあるほか、 約200点の土器や石器などが展示してあります。


No.3 土持堀の深井戸 (串良町細山田)
 シラス台地として有名な笠野原台地は、今でこそ畑地かんがい事業による水で潤っていますが、かつては、水に乏しく人々は飲料、農業用水の確保に苦しんでいました。
 土持堀の深井戸が掘られたのは、文政年間〜天保年間(1818〜1843)の頃。 直径約90pの円筒の素堀で、深さは約64m。 深井戸のため当時は牛に綱を引かせて水を汲み上げていたそうです。
 水がないために苦労した当時の笠野原台地の苦悩の様子がしのばれる貴重な遺物として、昭和57年に鹿児島県の指定史跡に登録されています。


No.2 輝北歴史民俗資料館 (輝北町上百引)
 輝北地区の歴史や民俗に関する資料を展示する輝北歴史民俗資料館は、昭和60年11月に開館しました。
 大正から昭和初期にかけての民家を再現した「昔の暮らしコーナー」や、輝北地区の新田遺跡、吉元遺跡などから発掘された遺物などを展示した「埋蔵文化財コーナー」、 実際に輝北地区で使用されていた農機具などを集めた「民具コーナー」、旧輝北町の生い立ちを紹介した「歴史コーナー」など、約1,600点もの収蔵物が、テーマごとに展示してあります。
【問合せ】 輝北教育支所教育課 電話番号 099-486-0506


No.1 干支の立体花壇(大隅広域公園) (吾平町上名)
 今年は戌年。 犬は人間との付き合いがとても古い動物で、盲導犬や猟犬、番犬、警察犬などとして人間社会にいろいろと貢献しています。  そんな今年の干支の犬をモチーフにした立体花壇が大隅広域公園の噴水広場にあります。 犬は体長1.6m、体高1.4m。 300本の黄色いパンジーの服を着ており、翌年の干支が登場するまで季節に応じた花で衣替えしながら、訪れる人の目を楽しませてくれるそうです。
 また、立体花壇の前には、1月中旬まで高さ3m、直径2mのジャンボ門松も設置されています。