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かのや歴史探訪 (No.51 - 60)



No.60 熊野神社のイヌマキ (新生町) 地図
 イヌマキは、庭木や生け垣としてよく利用されているマキ科の常緑樹です。
 市武道館近くにある熊野神社の境内に、このイヌマキの大木があります。
 訪れた誰もがその大きさに目を見張る樹齢約350年の大木は、高さ約20m、根回り約9m。 幹は大きな空洞になっており、大きく広がった枝は、折れるのを防ぐためそれぞれ大きな支柱で支えられています。
 昭和43年に市の天然記念物に指定。 県下にあるイヌマキの中でも植物学上貴重なものとして高い評価を受けています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.59 中尾象嵌装大刀 (吾平町麓) 地図
 平成8年に吾平町上名の中尾地下式横穴墓から出土した鉄の大刀の鍔の両面、刀を固定する部分であるハバキ、 柄頭の金具に銀象嵌が施されているのが判明しました。
 ハート形の文様の象嵌が施された大刀は九州で4例目の発見です。 県内では、象嵌が施されている大刀は、初めて発見されました。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.58 中郷の田の神像 (串良町有里) 地図
 田の神像は、江戸時代の薩摩藩の領地内にだけ2,000体ほど見られ、全国的にも珍しい石造物です。 田の神様は、春の田植えの際に山から下りてきて像に宿り、秋の収穫後、山に帰るといわれています。
 この田の神像は、中郷自治公民館の敷地内にあって、右手にスリコギ、左手にメシゲを持って集落の田んぼを見守っています。 背中に天保5年(1834年)に作られたとの刻銘があり、昭和63年3月14日に串良町で指定文化財となっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.57 古銭 (北田町) 地図
 昭和36年田崎町老神で市営住宅の建設中に素焼きのカメの中から18,122枚の中国の古銭が発見されました。 漢王朝(紀元前約200年)から元王朝(1,300年頃)時代のもので、ほとんどが北宋銭です。 発見したときの状況から室町時代に埋められたものと考えられています。
 市内でも1箇所でこのように大量に出土した例はなく、昭和37年11月25日に旧鹿屋市の指定文化財になっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.56 丸山寺の古石塔群 (輝北町下百引) 地図
 丸山寺は旧坊津町(現南さつま市)にあった真言宗坊津一乗院の末寺で慶応3年(1867)に廃寺となっています。
 ここには、高さ3メートルにも及ぶ巨大五輪塔があり当時の勢力をしのばせます。 また、市内では珍しい真言梵字塔(月輪塔・円盤梵字塔ともいう)もあり非常に貴重な石塔群です。
 昭和56年12月16日に旧輝北町で指定文化財となっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.55 柚木原墓地の平面六地蔵塔 (串良町有里) 地図
 一般的な六地蔵塔は六角形の塔心に地蔵を刻出するタイプで、市内に多数残っています。
 柚木原墓地内の六地蔵塔は、平面に刻出してあり、市内でもほかに例のないもので大変珍しく貴重なものです。
 昭和63年3月14日に旧串良町で指定文化財となっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.54 飴屋敷の観音像 (吾平町上名) 地図
 この観音像は、吾平町上名飴屋敷集落の用水路沿いにあります。 凝灰岩の石像で、台座に「享保六辛丑 六月吉祥日」(1721年6月)の銘刻があり、均整の取れた美しい像で吾平町の代表的な観音像です。 市内の観音像の多くは明治時代の廃仏毀釈により、首切りなどの被害を受けていますが、飴屋敷の観音は被害を受けずに当時のまま残っています。
 昭和61年1月27日に旧吾平町で指定文化財になっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.53 野里の田の神 (野里町) 地図
 田の神像は、鹿児島県と宮崎県の一部(江戸時代の薩摩藩の領地内)にしかみることのできない貴重な石造物で、鹿屋市内にも140体ほど確認されています。
 野里の田の神は寛延4年(1751年)に造られたもので、鈴持ち田の神舞型の田の神としては県内で最古のものとされ、 昭和43年3月29日に鹿児島県の指定文化財となっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.52 西原城跡 (輝北町上百引) 地図
 輝北総合支所の西側の小高い丘を「城山」と呼んでいます。 ここは、養和元年(1181年)から434年間百引を支配して肝付氏に仕えた図師家のお城です。 肝付町の高山本城と連携して、敵の監視をするために非常に重要な城でした。 その後、明治時代の西南戦争でも激戦の地となり、太平洋戦争時は敵の空襲を見張る監視所が置かれていました。
 昭和43年に公園として整備され、五輪塔などの古石塔や鶴田白窓(一番郷出身の鶴田景信氏)の句碑が建てられ、文化の森・市民憩いの場となっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.51 中郷の古石塔群 (串良町有里) 地図
 鎌倉時代末期と推定される肝付家主流の納骨宝塔を中心に、外に宝塔1基、五輪塔7基、不完形の五輪塔が多数保存されています。
 中でも、納骨宝塔には塔心の正面と右側面に薬師如来像、左側面に烏え帽子水干姿の合掌人物像が刻出されていて、県内でも類例がなく非常に珍しいものです。 昭和57年1月22日に旧串良町の指定文化財となっています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167