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かのや歴史探訪 (No.91 - 100)

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No.100 吾平山上陵と神話地図
 ラヤマノウエノミササギが正式名称です。ミササギは天皇などのお墓を意味しています。では誰のお墓でしょう。 そうご存知「ウガヤフキアエズ」とその妻「タマヨリヒメ」の魂の眠る場所とされています。 さてここで、ウガヤフキアエズ、タマヨリヒメの登場する神話をご紹介したいと思います。 ここで取り上げる神話は、編纂されて1300年ほどたった古事記という日本最古の歴史書に記述されているもので、 俗に日向神話などとも呼ばれたりすることもある部分です。それでは、神代の時代を覗いてみましょう。
 ウガヤフキアエズの息子は後の「神武天皇」ですが、お父さんは「山幸彦」です。山幸彦は、天からヒムカの高千穂の峰に降り立った神様、 「ニニギ」の息子なので、ウガヤフキアエズはニニギの孫にあたります。山幸彦には海幸彦というお兄さんがいて、 それぞれに狩りと釣りという得意分野があったのですが、兄の得意分野を体験したくなったのか、道具を交換します。 結果、釣りもうまく行かず、山幸彦は兄の大切な釣り針を無くしてしまい、兄は激怒します。 1000個の釣り針を用意しても許してもらえず、海のそばでたたずんでいたところを、海の神様に声をかけられ、海底の御殿に向かいました。 その宮殿で出会ったのが「トヨタマヒメ」です。二人は恋に落ち、3年間幸せに暮らしました。暮らしている間に釣り針も見つかったのですが、 海の神様からいろいろな知恵を授かって帰った山幸彦は、兄の海幸彦を家来にしてしまいます。 さらに海からトヨタマヒメが出産のために上陸してきたとき、覗くなといわれた部屋を覗くと、そこには「サメ」がいました。 本来の姿を見られた恥ずかしさから「トヨタマヒメ」は子どもを残して海に帰ってしまいました。それがウガヤフキアエズです。 彼は後にトヨタマヒメの妹で、おばにあたる「タマヨリヒメ」と結婚し、神武天皇を含む4人の兄弟が生まれます。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.99 小川観音地図
 下谷川の上流の巨石の上に安置されています。残念ながら記録がほとんど無く、詳しく分かっていません。 鹿屋郷土史(昭和12年)に当時の古老にうかがったという記載がありましたのでご紹介します。 それによると、昔、四国から33体の観音様を迎えた。第1座として黒岩観音、第2座として小川観音、第3座として長谷観音だったそうです。 像は2体あり、古いほうは200年以上前に、新しいほうは明治時代に作られたようです。清流にたたずむ人々を見守ってきた子供を抱いた優しい観音像。 小川のせせらぎにあわせてご覧になってはいかがでしょう。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.98 シラスと輝北の炭化木地図
 地面を掘り下げてみると、シラスと呼ばれる厚い地層がでてきます。このシラスは約25,000年前の火山の爆発による火砕流で、南九州の大半をおおいつくし、最も厚いところでは100メートル以上だそうです。
 そのシラスの中から、真っ黒く炭になった木片が見つかっています。高温の火砕流によって生い茂っていた木々がなぎ倒され、焼き尽くされました。見つかった炭化木は、火砕流の直前に降り積もった軽石によって半分ほど埋まり、火砕流で上半分が焼けてしまったようで、まっすぐ立った状態で見つかりました。このように直立した状態の炭化木が見つかることは県内では珍しいそうです。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.97 岡崎上の田の神 地図
 鹿屋市では100体を超える田の神像が知られています。田を見守り穏やかな表情を浮かべる田の神像は「たのかんさぁ」として集落で大切にされてきました。 市内の田の神像は大きく4タイプに分類することができます。旅をしている僧侶の姿をした「旅僧型」、舞を踊る様子の「田の神舞型」、神主のような姿の「神職型」、 そして自分たちと同じような姿をした「農民(庶民)型」です。この岡崎上の田の神像は、右手にスリコギ、左手にシャモジ(メシゲ)を持ち、 袖を長く垂らした僧衣が表されていることから「旅僧型」に分類され、200年以上前から豊作を見守っています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.96 小烏神社の庚申塔 地図
 庚申塔とは、庚申(かのえさる:干支の57番目)の夜に、体の中から抜け出した虫が天帝に人の罪を告げると、寿命が縮まるので虫が出ないように徹夜する庚申待(庚申講)にちなんで造られたものです。庚申待は、村人や縁者が集まり、江戸時代以降は次第に社交的なものとなったといわれます。
 さて、小烏神社の庚申塔ですが、造られたのは1674年(延宝2年)で、江戸時代になって50年たらずの頃です。
 彫込まれている像は「青面金剛」(しょうめんこんごう)という怒りの形相をとり、病魔を退散させる威力があるとされるものです。庚申塔にはいくつかのパターンがあることが知られていますが、青面金剛が彫られているものの中では県内で最も古いものとされています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.95 おきん女供養碑 地図
 新生町の八之尾墓地入り口にある「おきん女供養碑」は、江戸時代の美少女「おきん」と時の鹿屋城主「島津久信」の、あるエピソードによって造られました。
 13才で城主となった久信は大変な乱暴者であったらしく、27才で隠居をさせられました。その乱暴者ぶりの一部を挙げると、屋根の葺き替えをしていた職人を弓で射殺そうとしたり、何の罪もない庶民を刀の試し切りにしたそうです。 その久信は、おきんを気に入り、毎日通ってお茶などの接待をさせたあげく、思うままにならないおきんを「余を侮辱した」として生きたまま「かめ」に入れ、この地にあった池に沈めてしまったのです。そんな「おきん」を哀れんだ集落の人々が供養のためにこの碑を立てたとされています。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.94 歌丸の蛇の口 地図
 高台に位置する歌丸集落は、水の苦労が絶えませんでした。急な坂道を何度も水汲みに行かなければならなかったので、明治35年、集落の住民は水道建設に乗り出しました。 豊富な資材や精密機器が無いなか、集落内でとれる石を窪ませ、その上に平らなふた石を載せたものを並べていく工法で延長1600mを手探りで敷設しました。 水路の最終点に貯水槽を設け、そこには大きな口を開けた竜をかたどった「蛇の口」がおかれました。竜の口からこんこんと流れ出る水を住民すべてが汲みにいったので、貯水槽の周りは賑わい、情報交換の場となりました。 大正三年の桜島の噴火での被害や、幾度の補修を経て集落を支えていましたが、簡易水道が設置された昭和34年、その役目を終えたのでした。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.93 菅原神社 地図
 吾平町下名川北にある菅原神社。昔は天神社、川北天神と呼ばれ、古くは天文十四年(一五四五)の棟札が残されていたそうです。
 最も古い棟札が一五四五年ということから、今から四五〇年以上も前に造立されていたことが分かります。
 この神社の祭神は学問の神様として有名な菅原道真で、祭日は十一月二十五日だったそうです。また、この神社の境内では巨大なカエデの姿を見ることができます。
 詳しい樹齢などは不明ですが、長い間神社と共にあったのでしょう。立派な幹から伸びた枝々には現在も元気な葉がついています。  いよいよ受験シーズンが到来します。受験生のみなさん、日頃の努力の成果を十分に発揮してください。きっと神様も応援してくれることでしょう。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.92 からいも〜前田利右衛門の供養墓〜 地図
 焼き芋のおいしい季節がやってきました。
 この写真は、昭和34年に撮影されたものです。記録には「早掘かんしょ」と記載されていました。写真では、ツルにたくさんついているイモを分別し、箱に詰めている様子が見て取れます。
 「からいも」は現在も盛んにつくられ、作業は機械化されていますが、作物に対する愛情は今も昔も変わることはないのでしょう。
 収穫の喜びや品質への自信なども感じられる、50年ほど昔の鹿屋の日常の一コマです。以前このコーナーで紹介した前田利右衛門の供養墓も合わせ、あらためて「からいも」の魅力を知り、秋の味覚を楽しんでください。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167


No.91 十五社神社のイチョウ (串良町有里) 地図
  串良町中郷にある十五社神社は仏教伝来によって起こった神仏戦争に破れた物部守屋が逃れてきた後、十五の祖先神を祀ったという伝承が残っています。
  この神社の一角に胴回りが6mにも及ぶ巨大なイチョウがあります。このイチョウは樹齢260年以上とされ、高さが20m程あります。
  静かに落ち着いた境内に風が吹き、堂々と立つ幹から黄色く色づいたイチョウの葉が散る様は、秋という季節独特の一抹の寂しさとともに、はかない美しさを感じずにはいられません。
  期間限定で楽しむことのできる秋の風物詩。現代生活のあわただしさを一時忘れ、心癒される時間を過ごしてみてはいかがでしょう。
【問合せ】 市文化財センター 電話番号 0994-31-1167